今日は8月27日に行われる譲渡会のポスター依頼のために、
9時30分に自宅を出発。
この度、会場を貸して下さった
相内地区住民センター様にポスターをお届け。
(場所は↓です)
その後、約120kmの距離をぐるっと周って、
合計11か所の思いつく施設などに依頼してきました。
3時間もあれば周って帰って来れるかなー、なんて思っていたのですが
伺った先でちょっとめんどくさそうな顔されたりして凹んでは
「いやいや、こんなことで凹んでられない」と気を取り戻して再出発したり、
(大体の場所は快く受け取ってくれましたけどね)
他の事で連絡が入り、そのたびに車を停車して対応したりして、帰宅したら17時…
夏休み中だし、お盆もあるし、
少しでも誰かの目に留まって、少しでも足を運んで下さる方が増えて
猫の譲渡機会が少しでも増えたら…なんて地味な活動ですね。
でもこれは誰に言われたからではない、自分がやりたいからしているので
疲れたなんて言っていられません。
正直、SNSでバズってフォロワーが増えたら、
もっと楽なのになあなんて思ったりもする時もあります。
でもSNSって、良いほうに流れれば良いけど、
悪い方向に流れたら自分ではもうどうすることも出来ない。
それが怖い。
地道に築いてきたものが一発で終わり。
例えば、羆。
私が住んでいるのは北海道。
羆が自分が住んでいる地域に突然現れたら少なくとも私は怖い。
人に被害が出る前に駆除も止む無し、と私は思う。
でもそれが駆除されたら、直接被害を被らない地域の人から顰蹙の嵐。抗議の電凸。
でもちょっと待って。
山に返して戻ってきたらまた返すの?それを繰り返すのは誰?
それが戻ってこないという保証は?
私の目の前に熊が現れたら、あなたが助けてくれるの?
あなたの目の前に突然熊が現れたら、あなたは責任をもって山に戻せるの?
それはくまのプーさんじゃないですよ?
あなたが電凸を受ける側だと想像してみて下さい。
今日中に終わらせなければいけない仕事があるのに、
今被害を被っているわけではない方々からの電凸で仕事が進められなくなりました。
あなたはどう思いますか?
公益財団法人動物環境・福祉協会Evaの22年の啓発ポスターです。
「おもいやりは、想像」
これは不幸な動物について人間が出来ることが書かれていますが、
私はこの動物の中に人間も含まれると思います。
相手の立場になって考える。
痛みも不安も悲しみも怒りも、生きているから感じるんです。
先日、知り合った人生の先輩が、こう呟いていました。
「結局は人間のせい。人間が一番悪い」と。
自分の中の正論に反したものに無条件で反発するのではなく、
一旦落ち着いて、多面的に見てその上で判断をする。
それは理性を持っている人間だからこそ出来ることではないでしょうか?
その延長に、動物の幸せがあるのではないでしょうか?
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